夏目漱石『漱石近什四篇』

夏目漱石漱石近什四篇』 東京, 春陽堂, 明治43(1910)年, 287p.

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夏目漱石(1867-1916)は『それから』を書き終えた1909年、予備門時代の友人で当時の満鉄総裁だった中村是公の誘いを受けて満州・韓国方面への旅に出た。
9月6日に大連着、その後、旅順、撫順、長春、ハルピン、平壌、ソウルなどを巡って、10月13日に仁川より帰国、という旅程で、その一部が本書の「満韓ところどころ」に収められている。もともとは『東京朝日新聞』に1909年の10月21日から12月30日まで連載されたものをまとめたものなのだが、「ここまで新聞に書いて来ると、大晦日になった。二年に亘るのも変だからひとまずやめる事にした。」と書いて、撫順まできたところで打ち切ってしまった。
さて、漱石の洒脱な文章によって、街の様子や中村たち満州経営に尽力する日本人との交流が綴られているが、見逃せないのは日露戦争の戦跡訪問の記述だろう。戦後、朝日新聞社主催の戦跡巡拝ツアー修学旅行での戦跡巡拝が人気を博したりした流れがあったが、漱石のこの旅行記もその延長に位置づけられるものだろう。しかも、有名作家によって新聞という幅広い読者層を持つメディアで発信されたものなので、その影響はかなりのものだったに違いない。
漱石の『三四郎』を読めば、日露戦争後の日本に対して批判的な漱石の姿勢がよく見てとれるが、本書からはそういった筆致はあまり読み取れない。むしろ、当時の一般的な日本人の朝鮮観・満州観とそう変わらないようにも見える。「配慮の結果」だろうか?