杉浦重剛『塾主渡清日誌』

称好塾編 『塾主渡清日誌』 東京, 称好塾, 明治35(1902)年, 26p.

<本文>

膳所生まれの国粋主義的な教育家/思想家である杉浦重剛(1855-1924)は、1880年にイギリス留学から帰国し、東京大学職員・衆議院議員などを務める傍ら、1883年から「称好塾」という私塾を開き、知人・友人の子弟を書生として預かって教育を行うようになった(現在の東海学院文化教養専門学校)。
1902年、近衛篤麿からの委嘱により、その前年に設立された上海同文書院の院長に就任する。それを受けて、第一回東亜同文書院学友会出席のため同年4月から5月の1か月にわたって上海などを訪れた際の記録(出発前に伊勢神宮参拝を行っているところおろが杉浦らしい)。この旅には塾生である岩田清三郎・北村和三郎が随行し、岩田が日誌を担当した。
本書の最後で、杉浦は今回の旅で感じたこととして、次のように語っている。近代化=欧米化としてとらえる現代にも続くアジア人の意識を痛烈に意識した内容だ。

  • 欧米人は西洋風の家屋を建てて本国と変わらない生活を送っている。
  • 一方で、日本人は借り物である西洋風の家屋を建て、自らのルーツである日本風の家屋を希望しないのはどうしてか?
  • このままでは、大陸経営においても「一時的旅人」で「永遠の事業営出の念」に乏しいままである。