海軍水路部『軍艦比叡土耳古国航海報告』

海軍水路部 『軍艦比叡土耳古国航海報告』 東京, 水路部,明治25(1892)年,62 p.

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明治23(1890)年9月16日紀伊大島樫野崎近海で、オスマン帝国のアブデュル・ハミト2世の命を受けて来日したエルトゥールル号が遭難・沈没した。老朽艦だった上に、経費の関係で台風の季節に帰国せざるを得なかったことが、乗員620名のうち生存者は69名という大惨事を招いたのだ。
遭難したトルコ人乗組員に対して、地元和歌山の人々は親身にって介抱し、また日本政府も救護費を国費から支出するほか、生存者を軍艦比叡・金剛に分乗させてトルコまで送ることにした。こうして行われた「比叡」の航海記録報告書に当たるのが本書で、航海長小椋元吉大尉・航海士松村龍雄名義となっている(この航海には、生存者を送還するほかに、少尉候補生(89名)の訓練航海という目的もあったようだ)。
同年10月23日、「比叡」は品川を出航、その後、香港・シンガポールコロンボ・アデン・スエズ・ポートサイドと寄港し、そして翌年1月2日、トルコのコンスタンチノープルに入航した。そして1月あまりの碇泊の後の2月10日に同地を出航、ピーレー・アレキサンドリア・ポートサイドとまわってから帰国した(詳細な航海・測量データが本書の後半に掲載されている)。
なお、「比叡」とともにトルコに赴いた「金剛」の航海記録である『軍艦金剛土耳古国航海報告』(水路部, 明治24年)も残されている。