ラサにて(4)


 夕方、リュウが部屋にやってきた。
 「晩飯、食おうよ。ジョカン前で知り合ったチベタンカップルと仲良くなってさ、飯の約束したんだよねー。」
 断る理由はない。どうせ暇なのだ。同じく部屋で暇そうにしていたハッカクも行くというので、3人でホテルの2軒隣のヤク・バーガーが売りの洋風レストランに向かった。
 中に入ると、30代のちょっと垢ぬけたチベタンの男がいた。俳優の升毅氏に似た顔立ちの男前である。何でも、今はアメリカ在住で、ビジネスで成功したとかで、自信満々の口調で英語を繰り出してくる。明らかに年下の日本人のプータロー、つまり我々を子分扱いしていて、なかなか鼻持ちならない男だった。
 そして、彼の両脇には妙齢で、しかもなかなか可愛いチベタン女性を2人従えていた。片方が婚約者で、もう片方(広末涼子にそっくり)がその友達らしい。何でも、結婚することになったので、田舎から連れてきたばかりとか言っていたが、見るからに純朴そうな女の子で、恥ずかしがってこっちの方をまともに見ることもできないくらいだ。
 何でこんな性格の良さそう子がこんな悪そう奴と・・・と腹の中では思いつつも口には出さないままに、出されたヤクバーガーを頬張っていたが、そのうち、升氏がとんでもないことを言い出した。
 升氏はアメリカ帰りの英語を話すが、女の子はチベットの田舎から出てきたばかりなので英語はまったく理解できない。それをいいことに、升氏の話は、別れた女の話から今の婚約者との比較、果てはラサの夜遊び事情へと、妙な方向に話は膨らんでいった。そして挙句の果てには、
「食事が終わったら彼女たちをホテルに送ってくるから、それから売春宿に行こう」
などと持ちかけてきた。升氏は第一印象の通りの悪い奴だったのだ。
 俺たち3人は升氏に心底あきれ果てつつも、彼の持ち出した「ラサの売春宿」という何とも興味をそそられるキーワードを耳にして、ひとまず「うん」と頷いたのであった。
 升氏ばかりがひたすら喋り倒して、盛り上がったのか盛り上がらなかったのか分からないままに、夕食は終了した。予定通り近くのホテルに女の子人を送り届けた升氏と俺たち3人は、タクシーを拾って置屋街へと向かった。
 10分ほど走って下ろされたのは、人気もまばらなうらぶれた商店街のような路地だった。店のドアからは灯りが漏れている。升氏は、迷うことなくその中の一つの店のドアを開けて、俺たちを手招きした。どうやら、馴染みの店だろうか。だとしたら、ますます悪い奴だ。ちなみに、アメリカ在住のチベタンがなぜラサに馴染みの売春宿があるのか、この時は不思議に思わなかった。
 店の中に入ると、ストーブを囲むようにベンチが備え付けられており、ヤカンの湯気が勢いよく吹いていた。薄暗くなっている奥のベンチにはまだ年端もいかないような女の子が何人か座っているらしく、キャッキャと升氏にじゃれついている。本当に升氏の馴染みの店らしい。本当に悪い奴だ。
 俺は、出されたお茶を流し込んで、妙に昂ぶる気持ちを押さえ込んだ。そして、目が店の暗さに馴れたころあいを見計らっておもむろに彼女たちの顔を見た瞬間、俺は愕然とした。
 どの子も、しゃべる口調からして彼女たちが10代なのは間違いないのに、滑稽なほどに白粉が塗りたくられたその顔は、40代か50代のそれだったのだ。彼女たちの労働環境、衛生環境、食事情などが手に取るように想像できた。
 ここは、そういう場所だったのだ。
 俺の無責任な好奇心は一瞬で消えうせ、言いようのない感情が吐き気とともにこみ上げてきていた。リュウやハッカクたちも一言も発しなかったところを見ると、同じ気持ちだったのだろう。そんな空気を一向に介さず、両脇の女の子の肩に手を置きながらご機嫌にトークを楽しむ升氏を見ると、さっきのレストランで連れていた婚約者の女の子が本当に気の毒に思えてならなかった。

 戸惑う俺たちを見て楽しむかのうように升氏のトークの興が更に加速してきたきたころ、通りで怒号が飛び交った。「喧嘩かな?」と思った瞬間、升氏と女の子たちの表情が一変した。
「隠れろ!!公安だ!!」
 呆気に取られる俺たちを、女の子たちは有無を言わさず奥の部屋のベッドの下に押し込んだ。もちろん、升氏も一緒である。売春宿のベッドの真っ暗闇の中で息を殺す男4人。さすがの升氏の顔も強張っていた。こんなところで捕まったら末代までの恥だ・・・という身勝手な思いだけが俺の頭の中をリフレインしていたが、時間にするとそんなに長くなかったと思う。公安と思しき男たちは、俺たちのいる店にはちょっと扉を開けて確認しただけで出て行ったようだった。
 その後、通りに人気がなくなったのを見計らって、升氏と一緒にそそくさと流しのタクシーを捕まえて、ホテルに戻ったのであった。今になっても、つくづくひどい夜だったと思う。

 升氏とは、この次の日も同じメンバーで夕食を共にした。昨日と同様の盛り上がり方だったので詳細は省くが、今回は升氏が自分の婚約者の友人の広末嬢を何とかリュウとくっつけようとあれやこれやと世話を焼いていたのが印象的だった。さすがに昨日の一件で懲りて、ちょっとは爽やかに盛り上がろうと思っているのかな、と俺たちはちょと微笑ましくその様子を見守ったものだった。
 が、食事が終わるころに、案の定「彼女たちをホテルに送ってからクラブに行こう」と言い出した。升氏はやっぱり悪い奴なのだった。