「東洋史学の危機」と第3回ARGカフェ&フェスト

 昨年に大学の同級生で博士論文を準備していた友人が思わぬ形で自らの研究に幕を下ろしたり、母校の研究室にたまに帰っても昔とそう変わらない面々が研究に打ち込んでいる姿を見たりして、漠然と「人文系の学問の危機」なんていうことを柄にもなく考えていた今月。
 久しぶりに大学の恩師からメールがあって、『史学雑誌』118編1号所収の桃木至朗「逆風のなかの東洋史学 」というコラムを紹介されました。桃木至朗先生も学生時代に大変お世話になった方なので早速読んでみると、その内容の刺激的なこと。新潟大学の岩本篤志さんも引かれていますが、東洋史学を齧ったことのある者としては共感できるところも少なくないです。

  • 東洋史学は学問的な成果を出しているのに、専攻希望者が減って<西高東低>の状況。そもそも若年層の「歴史離れ」も進んでいる。
  • 一方で、東洋史学側でも、学生の教育という意味では十分な人材を輩出してきたとは言い難い。
  • 現状改善のためには、従来の研究・教育活動の改善(予備知識のない学問の魅力を示す授業の提示など)や概説書の執筆だけではなく、丸暗記中心の入試の改革や最新の知見を生かして教科書の解説書などを執筆するなど、高校の教育にも踏み込むべき(阪大での取り組みも紹介)。
  • 東洋史専攻の学生を専門家として育成し、こういった作業を分担して行えるようにすべき。

 簡単にまとめると上記のようになるのですが、このコラムは、最後『「その東洋を西洋史や日本史の専門家に分かるように語る」「西洋中心主義の裏返しの安易な東洋中心主義ではないかたちで世界史を語る」という作業が必須』という趣旨の文章で締めくくられています。要は、「アカウンタビリティの強化と、それを下支えする人材の育成が肝」ってことだと思います。

 そんなことを考えながら、去年の第1回(記録はこちら)に引き続き、2月21日の第3回ARGカフェ@京都に参加してきました。内容や感想は参加された皆さんがblogなどで色々と書かれていますが、人文系の研究者の方の参加も多かったので、業界内で喧伝され、かつ業界外からも推察できる「人文学(歴史学)の危機」なんかを頭に置きながら話を伺ったり喋ったりしました。
 そういう意味で第一部のライトニングトークで印象に残ったのは、神戸学院大学の三浦麻子さんが指摘された所属学会の刊行物の電子化が遅れている状況(恐らく人文系全体に言える)の話や、花園大学後藤真さんが取り組んでいる写真史料のデジタルアーカイブの構築という興味深い(しかし研究者としての業績評価には直結しない)プロジェクトの話や、京都大学大学院の東島仁さんの、研究者にもネット上の「眉唾物」の情報に対する研究者としての対応と、その際にキーになる「分かりやすさ」の話。
 いずれも、人文系の学問の置かれている状況や、特にWebの側面で求められていることへの危機感を端的に示したものだったと思います。これらも、最初に紹介したエッセイと底流するものは同じではないかと思います。即ち、「危機」とそれへの対策としての「アカウンタビリティ」の強化と手段としての「Web」と、それらを担う「人材」の問題。*1
 こういった会場の空気を代表していたのが、最後の質疑応答で年配の研究者の方(すいません、お名前を聞き逃しました)からの
「人文系の学問は現在、危機的な状況にあります。今日は、そこから脱するためのヒントが得られればと思ってやって来ました」
というコメントなのかもしれません。そんな中で主催であるACADEMIC RESOURCE GUIDEの岡本さんは、「インターネット上に学術情報のためのプラットフォームを近々オープンする」と力強く宣言されていたが、「危機」が叫ばれている日本の人文系学問に一筋の光明をもたらすものになることを期待します(自ら救うものを救う、というのは基本でしょうが)。
 もちろん、京都府立総合資料館の福島幸宏さんや大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)の谷合佳代子さんが語っていたように、図書館などの文化施設も似たような状況にあったりもするので、実は上で書いたことは自分たちにも当てはまったりします。この辺りは、京都大学中村聡史さんの「図書館員も国内外の情報工学系のイベントなどに顔を出すべき」という耳の痛いコメントを自らへの戒めとしつつ、自分も励んでいきたいと思います。

*1:そういえば、懇親会であるARGフェストで、母校の院生が集まってやっている<Scienthrogh>というサイエンスカフェアウトリーチ活動を主催する方とお話する機会があったのですが、これも同じようなところに根っこがあるのではないかと(やはりと言うべきか、ここには東洋史専攻の人は見受けられず)。