勉強会@中央線RT2014〜忘年編を開催

「次は2015年の3月かな…」と思っていたのですが、今般、本業を取り巻く状況が大きく変わったので、「忘年編」として急遽開催しました。「前倒し実施」は世の常人の常です。

明治時代に刊行された本なんかをインターネットとかで読んでいて、今の時代だとブログとかに書くような内容でもってやっつけで作ったようなモノが結構あるなーと(今も一緒!というツッコミもありそうですが)。だとすれば、あの時代の出版状況ってもしかしたら、今のWebの状況と似たような感じだったんじゃないかなと、何となく感じていました。そんな問題意識もあったところで、スピーカを引き受けて頂いた長尾さんからネタとして「明治時代の投書雑誌で行きたい」という話が来れば乗らざるを得ません。

(41) 2014/12/8 高円寺HACO 長尾宗典(国立国会図書館)「明治40年ソーシャル・ネットワーク―つながる投書雑誌の世界」

今回のネタのキモは、明治40年代、若者による投稿から構成された各地の文芸同人雑誌をプラットホームとして展開された、「誌友交際」という名のソーシャルネットワークの有り様です(この時代の雑誌をある程度まとめて所蔵している機関がないので、その発掘だけでも一苦労だそうです)。こういった雑誌が隆盛するに到るための制度面・技術面等の諸条件も興味深いのですが、一番面白いのは、この100年前のソーシャルネットワークの世界でアバターやらハンドルネームやらオフ会やらネカマやら、現在のWebの世界で起きていることが既に出ていること。当時から何も変わってないなーと思わされます。
ここではこれ位でやめておきますが、詳細は長尾さんがいずれまとめるであろう本or論文を待つとしましょう。
ところで、この"投稿雑誌"という読者参加型メディアと聞いて僕が思いつくのは、インターネットが普及して、そこにSNSが構築されていく時代を先取りしたメディアとして再評価されることもある、全面投稿雑誌『ポンプ』(1978年に刊行開始)です。今回取り上げた「明治40年ソーシャル・ネットワーク」結局のところ、様々な事情により数年で廃れていくのですが、それがどういう底流となって、戦中戦後、そして『ポンプ』へと繋がっていったのか、ちょっと気になるところです(論証不可能な気がしますけど)。
最後に、「師走に急遽」という悪条件の中、スピーカをお引き受け頂いた長尾さんをはじめ、参加頂いた皆さん、個人的な思いつきにお付き合い頂き有り難うございました。次回、今度こそは2015年です。