青柳郁太郎『秘魯事情』

青柳郁太郎 『秘魯事情』 大多喜町, 青柳郁太郎, 明治27(1894)年, 114p.

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1880年代の農村の疲弊は、結果として西日本を中心に多くの出稼ぎ農業移民を生み出した。
ペルーは、南米でも最も早く日本人移民が入った場所である。1899年、移民会社・森岡商会の仲介により最初の790人がペルーに到着した。それまでサトウキビ農園の働き手を担ってきた中国人労働者の代わりとして、日本人移民に白羽の矢が立ったのだ。
それより5年前。青柳郁太郎(1867-1944)は、単身ペルーに入り、日本人移民の新たな受け入れ先としてのペルーの可能性をさぐった。カリフォルニア大学図書館で手に取った南米駐在領事の報告書を手にとって、閃いたらしい。1893年3月、青柳はサンフランシスコを出発し、ペルーに向かった。
ここでは、ペルーの概要について記述した前半ではなく、実地調査を行った「チヤンチヤマヨ、ペレネ−両殖民地探検記」の章に注目したい。青柳は8月4日にリマを出発して高山病に苦しみながらアンデス山中のチャンチャマヨ・ピレネー方面を回り、19日にリマに戻っている。
この地方はコーヒーの栽培が盛んで、すでに欧州(イタリア、イギリスなど)・インド・中国からすでに多くの移民が入り込んでいた。日本もこれより更に先にペルーへの移民事業を試みたようだが、どうやら失敗していたしたらしい。しかし、この地方はコーヒーの栽培が盛んで、現地の移民担当者としても日本人移民は大歓迎ということで、青柳としても相当の手ごたえをつかんだようだ。
帰国後、青柳は本書を書きあげた。彼のこういった地道な調査も、1899年のペルー移民第一陣に結実していったのだろう。なお、青柳は後にブラジル移民事業において中心的な役割を果たし、『ブラジルに於ける日本人発展史』を執筆することになる。
青柳の人生は、図書館で偶然手にした本によって大きく変わったとも言えるだろう。