旅行記:中国編

中国2001_旅地図

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タシュクルガン→

朝、カシュガルを出て、バスでタシュクルガンに向かった。 カシュガルを出てしばらくすると、ぐんぐん高度が上がっていよいよパミール高原に入る。バス一台が通れるくらいの幅の道は、切り立った崖の間を縫うように続いている。崖といっても、ばかでかい岩が…

カシュガル→

11月4日、僕は11時ごろバスターミナルに行った。バスの出発までは時間はあるのだが、チケットを取らねばならない。取ってからまた30分歩いてホテルに荷物を取りに行くのは面倒だったのだ。 無事、下鋪(下段ベッド)のチケットを購入することができた。中国…

ハミ→

敦煌とハミの間に横たわるゴビは、莫賀延磧と呼ばれて旅人から屈指の難所として恐れられていた。しかし、今の時代ではバスにさえ乗れば済むことだ。朝の9時頃の出発ということで、バスの床には剥き出しのスチームが装備されていて、有難い。 7時間後には、申…

甘粛→

朝8時に銀川を出た列車は空いていた。銀川から西域への参道とも言うべき河西回廊を抜けて、万里の長城の西端の嘉峪関までは13時間の列車の旅だ。実は嘉峪関は当初の予定では訪れるつもりは無かった。しかし銀川から西へ向かって出る列車は、最高まででも嘉 …

寧夏→

朝8時前にはホテルを出て、街へとバイタクで行くことにした。バイタクといっても、おばちゃんがミニバイクを少し改造して一人をやっと乗せることができる程度のもので、スピードも小走り位だった。 固原は明清代の小さな県城に収まるくらいの街で、西域への…

西安→

僕は太原での一発逆転のおかげで、上機嫌で列車に乗り込んだ。今度の列車の硬座は少し硬かったが、隙間風はちょっと冷たかったが、宴会してトランプして盛り上がる隣の家族連れはうるさかったが、上機嫌だった。どれ位上機嫌だったかと言うと、盛り上がる家…

太原→

夜が明けると、車窓の風景は一変していた。朝もやの中にかすかに見えるのは黄土の畑作地帯。植わっているのは高粱や玉蜀黍だろうか。そこに壁で囲まれたレンガ造りの集落が点在している。まぎれもなく、列車は華北を走っていた。窓の隙間から入ってくる空気…

上海→

蘇州号では旅行会社による中国ビザ代行取得も行っていて、乗船時に乗客は手数料と必要書類を提出し、旅行会社員が船から中国本土へFAXでそれを送る。そして船が着くとビザが用意されている。こういう仕組みだった。しめて10000円。僕もそれを申し込んでいた…

旅のはじまり

船がゆっくりと河をさかのぼる。上海の街が迫ってくる。僕の乗ったこの大きな船のわきを、きわどく小さな船がすれ違ってゆく。日差しは二日前に出た日本よりも、少しきつい。僕はフェイクの皮ジャンを脱ぎ、そして腰に巻いた。 2001年10月14日午後2時、2日間…